睡眠のあいだに生きてる

ながい寝言です

娘の親

娘の習い事を辞める事にした。

まあ色々な事情があって辞めるんだけども、始めた時の気持ちが

ほぼ達成できたので、もういいかなーと思ったのが大きい。

 

非常に勝手な話だけど、娘の気持ちではなく私の気持ち。

その点、娘には少々気の毒だけども、娘の気持ちとはこれから

大きくズレていく習い事なので、大人になってもやりたければ

やれば良いと思う。

その時は習い事がやりたい気持ちと、自分の経済事情を考える

のは彼女自身だから、まあがんばれ、と思う。

 

 

娘が生まれて。

私はずっと「どうしよう?」と思っていた気がする。

私自身、あまり母親に娘として可愛がられた記憶が無いので、

同じように育てれば、おそらく私のようにチュートハンパ女が

出来上がるだろうと考えた。

女性だけどもどうにも女性として楽しく思えない、かといって

男性になりたい訳でもない、自信無くフラフラしてるイキモノ

になるだろう。

女性らしくしろと言われ、女性らしくしようとすると色気づい

てるといわれ、身なりに気をつけろと言われ、気をつけようと

すると何を着ても似合わない、化粧も似合わないと言われ。

 

まさか自分は自分が傷ついた言葉を娘に向かって言う事はないと

思うけども、そんな言葉を言わないまでも、娘を褒める事も出来

ないような気がしていた。

 

さてどうしようか、と。

ご飯を食べさせ、清潔な服を用意し、生活に気をつける事は

出来ても、男の子に言う「カワイイ」と女の子に言う「カワイイ」

は、どうやら世間では違う。自分は表面上それが出来るかもしれ

ないけども、やがて娘は気づくだろう。

女性を褒める「きれい・可愛い」は象やパンダやケーキやお花とは

違っていて、それは自信となり、女性の人生で武器にも盾にもなり

うるような気がする。

 

まあ、単に私が持ってないからそう思うだけなのかも知れないけど。

 

 

そう不安に思っていた時に、ある人に紹介されて習い事の見学に

行った。

女の子らしい習い事のその場には、いかにも女性らしい先生が居て

まだ小さい娘を見て、

「まあかわいらしい!」「かわいいかわいい!」と連発。

営業トークなんだとしても、これだ!とひらめいた。

 

私が娘を「カワイイ、カワイイ」と言えないとしても、こういう

ところで、他の人に「カワイイ!」をシャワーのように浴び続け

れば、私はつい謙遜のつもりで「そんな事無いです」と言わなく

ても良く、ただ「ありがとうございます〜」とだけ言えば、娘に

対して「カワイイ」を便乗で肯定できるじゃないか!と。

 

とてもよそ様から見ればアホらしい思考かも知れないけど、私は

いたって本気。

 

それから約4年。

娘の洋服をいっしょに選びに行って、

「こっちの服も◯ちゃんに似合うんちゃう?あ、こっちのも

 カワイイと思う。こういう格好、似合うなー」

「この色、好き?あーなるほど、合わせてみたら確かにカワイイ」

そんな会話を割と自然にできるようになったと思う。

カワイイ髪飾りとかつけた娘を思い描いて、カワイイと思えるし

言えるようになった。

よその人に「娘さんカワイイ〜」と言われてキョドる事も減った。

(今でもまだ返答に迷う事はある)

 

習い事で、何かするたびに、少し上手にできるたびに、

「カワイイ〜!もうホント、可愛らしいわあ〜」と浴びるように

言われてる娘と、それを見て慣れる事が修行(苦笑)。

慣れというのはすごいもので、そうして見ているうちに、

「カワイイ」という言葉の使い方と、使いどころに自信がついた。

「カワイイ」の便利さと効能の大きさにも改めて感心した。

 

 

 

ちなみに。

娘は一般的にかわいらしいと言われる顔かたちをしていると思う。

目鼻立ちのバランスがある程度整っていて、カワイイと言われる

条件の1つである目が黒目がちで割と大きい。

頬も女児らしく丸みがあって、顎は小さく頬とのラインが上手く

繋がってる。髪はツヤツヤで天使の輪っかが出来てる。

 

でも、こうして一般的に可愛いと言われる部位を上げて、

「〇〇が良いと思う」と言っても、あんまり響かないんだよね

たぶん。

手放しで、1オクターブ高い声で、女児ママたちが言う

「カワイイ〜!うちの娘ちゃん、カワイイ〜!」っていう

ひと言にはかなわない。

子どもには理屈や蘊蓄はあんまり必要なくて、感嘆詞の

ようなひと言の方が通じやすいという事なんじゃないかと

思うけど、この辺は正直まだよくわからない。

 

私はまだ1オクターブ高い声で「カワイイ〜!」とは言えない

けど、娘の性格は私に似て雑だけども、私は低い声ながらも

「カワイイ」と言えるようになって、娘は喜んだり怒ったり

(自分の気に入らない格好の時に褒められるのは嫌らしい)

してる。普通にカワイイ自分を楽しんでいるように見える。

 

習い事自体の成果はほとんどないけど(4年やっててコレ・苦笑)

これが私の目標で、ほぼその通りになっているのでそういう成果

で見れば、かなりの良い結果。

 

 

現像した習い事の写真を観ながら改めて思う。

うちの娘はカワイイ。

理由はいらない。「カワイイよ♪」とちゃんとこれからも

口に出して伝えようと思う。

娘の生きていく力の1つになることを願って。

 

あ、あと息子たちには「カッコいい!」な。

そういう言葉って想像以上にいろんな影響ある。

これも娘の習い事で知ったよ。