睡眠のあいだに生きてる

ながい寝言です

告知のつづきの話

昨日、息子に渡した本↓

www.amazon.co.jp

 これは本当に丁寧に書かれていて、私は息子本人にどう話すか?

ということで、頭がいっぱいだったんだけど、知った本人がその

障害である事を次に誰かに話す場面も考えて書かれていた。

 

おお!と思いましたよ。

 

これは本当に本当に、大事なこと。

保護者もやってしまいがちだと、以前から私は思っていて、なのについ

忘れがちというか、抜けてしまいがちなんだけど。

 

私には「障害」がある、けど、「障害」は私ではない。

「障害」のある私は私だけど、私を語る時に「障害」が必要なのかどうか?

 

息子を誰かに託す時、

「息子をお願いします、時々困ってる場面があるので助けてください」

というのと

「息子は障害がありますので、よろしくお願いします」というのは

ちょっと違うんじゃないか?と感じていて。

 

そして何より、息子たちが大きくなってきた頃、私はその頃にもブログを

書いていたけども、彼らにとってプライベートな情報の一つを、保護者だから

といって私からの視点や思い、考えだけで書いていていいのか?と思ったのな。

 

とはいえ、今もTwitterで呟いてたりするんだけど。

 

 

「うちの子、発達障害なんだよね」と言う時、発達障害というものを知って

欲しい気持ちがある。けど、それ言わなくちゃいけないことかな?と親の私が

悩んでいるのに、息子になんて言えばいい?とこの点も、考えた。

 

考えたけど、わからないので息子本人に聞くことにした。

私は元来、雑な人間なので、『下手な考え休みに似たり』と思っている。

 

発達障害、って障害ってつくやん?聞いてどう思う?」

 

「んー、あー障害って名前なんやあって。まあ俺が〇〇障害?っていう話

 やろ。へーこれ障害なんやーって感じ。特になんもそれで変わらんし」

 

…雑な人間が産んで育てた子供は雑か。

いや、私はもうちょっとこの年代の頃はナイーブでデリケートやったはず。

きっと相方に似たんだわ。そしてその雑な相方が私を選んだってことは、

やっぱり私も雑…まあいいか。とりあえず。

 

それより大事なのは。

 

発達障害って話を今日したけどさ、これはさっきも言うたようにもの

 すごく特別なことではないねん。

 けど、自分の自己紹介をする時に、

『自分は左利きです、でもチンコは右向きです。

 おしっこが時々こぼれます』

 って事を、まず最初に話す人はいいひんと思うのな。

 母ちゃんは発達障害もそういう事やと思うの。」

 

「なんでチンコやねん!しかも、おしっこが時々こぼれてるのは俺と違う

 って前から言うてるやん!」

 

「いやまあ、その容疑はとりあえず置いといて(疑ってるけど)。

 もちろんチンコ右向きはたとえ話でさ。

 要するに発達障害というのも、チンコの向きと同じようにあまり人に

 いきなり紹介するもんではないんじゃないかなあと、母ちゃんは思って

 いて。

 何か困った時や知って欲しい時に言えば良いかなあと思うのね。

 

 で、発達障害の特徴を今日改めて本で知って、アンタはわかったやん?

 そうすると多分、これから学校や外で自分に似た特徴の人や、本で

 知ったような人を見て、『あ、あの人も発達障害?』ってわかると思う

 ねん。

 けど、それはその人の個人的な事やから、知ってようが知ってまいが

 『自分もそうやんなぁ?』とか『あいつもそうやろ』という事は言わ

 へんのがマナーやないかなあと思ってるねん。

 だって、わかったからって急にその人のとこ行って

 『自分、チンコ右向きやろ?俺もそうやしわかるねん』とか話しかけ

 へんし

 『あいつのチンコは右向きなはず』とか勝手に他の人には言わへんやん?

 そういう風に思うねん。」

 

「わかったから、もうチンコ言うのやめて (#´∀`)

 けどまあ、言いたいことはわかるし、俺はそういう話大体せえへんからなあ」

 

「え?チンコの話ってする人いるの?」(例えに出しといてコレ)

 

「だから、そういう話はせえへんって言うてるねん!」

 

 

我ながらいつも話が脱線気味で、回りくどいんだけども、わかってくれたのか

どうか。わからんかったとすれば私が悪い。

 

あともう1つ付け加えたこと。

うちにはもう1人発達障害の子がいるわけで。

息子2に関しては、通級利用の話なども家の中ではオープンに話してるので

改めて何か言うことでもないかも、と思ったけども一応。

 

「息子2やけど。あいつもそのうち発達障害の話をきちんとする日が来ると

 思うけど、まだ言ってないねんな。だから特にアンタから先に何か言うたり

 するのはちょっと待って。まあ兄弟でチンコの話をするのは別に良いかと

 思うねんけど、アンタと息子2はまた少しタイプが違って、左向きやったり

 するから。」(例えがチンコから離れられへん)

 

と言うと。

「ふーん、そういうもん?まあ別にわざわざ俺は話さへんけど。。。

 え?じゃあ娘ちゃんは?あいつはチンコないから違うの?」

 

ほーらな。私のたとえ話がくどいから、こうなる。

チンコと発達障害は関係ないのに、言いすぎて、娘ちゃんは女の子やから

違うとか変な方向に話が曲がってもうたがな!

 

そしてまた話が長くなったけども(特性と性別は関係ないとか、母ちゃんも

発達障害の傾向があると思うとか)それは書くとまた脱線して話が果てまで

行ってしまうのでここまでにしておく。

 

 

 

この話を書いておこうかなーと思ったのは、昨日TwitterのTLで

『障害名を言うかどうか』

『障害を話す時、相手のことを考えているのかどうか』

『なぜ障害名をいうのか?』

というようなtweetを見て、ちょうどうちで話していたこと・考えたことと

被ったので、私の立ち位置(チンコだけに)を自分で確認しておくために

書いた。

 

マイノリティであると、それを隠すのか、隠さなくてはいけないことなのか、

という悩みと、知られないままでいるデメリットと知らせるデメリットを

天秤にかけることが多いように思う。

少なくとも、私はそうだった。

 

けど、おばちゃんになって、ちょっと図太くなって、他人にズルいと言われ

ても、その方が生きやすいのなら都合よく、見せたり・見せなかったりしても

ええんじゃないかなあと思うようになった。

 

障害を都合よく使うなんて、と言われるかもだけど、障害も特性で、自分の

武器になるなら、それはそっちのがいいんじゃないかなあと。

 

まあそれは人それぞれの考えようやけどね。