睡眠のあいだに生きてる

ながい寝言です

椅子は増えている

今年も@Nanaio627さんの呼びかけにより参加させてもらう企画、

nanaio.hatenablog.com

 

です。今年ももうこの日がやってきたんやなあと昨年の記事を

読み直したりしています。

 

今年は『嬉しかった配慮と感謝の気持ち』というお題もあります。

いつもテーマからズレてしまう私なので、果たして大丈夫なのか

いや多分無理だろうと思いながら、つらつらと思いだし書きです。

 

私はしつこく人を恨むタイプの人間です。

もう20年以上前の就職先でのパワハラをついこないだも夢で

見て、あのヤローと呪いの言葉を朝から吐いたりします。

その反面、良くしてもらうとものすごく感激します。名も知ら

ない人に、幸多かれとすぐ祈ります。

 

そんな人間なので、息子たちと暮らす毎日は恨みと感謝が

交互にやってきます。

 

たとえば息子1が発達の遅れから、保健所で定期的に経過

観察に来るように言われた時。

理由もわからず、(自閉症を疑う知識すら持っていなか

ったので)オロオロする私に、のらりくらりと何も教えて

くれなかった保健婦さんを恨んでたりします。

でもその人が言ってくれた

「幼児サークルもしんどければ休んで良い、笑って過ごせ

 てるのが一番だから」という言葉には感謝してたりする

非常に自分勝手な人間です。

 

そんな人間なので、細かく覚えている感謝をよりぬいて

書くよりも大きく感謝していることを、今日は書いておこ

うかと思うのです。

 

実は私は、今の状態に感謝の方が大きいのです。

不満はあっても、それでも。

 

 

私には弟がいます。

彼は年子の私が物心ついた頃から思い出しても、おそらく

発達障害を抱えた子どもでした。

あの時代でも「自閉症」の疑いはあったと思います。

度々母は保育園や、学校で、検査を受けてみないかという

ようなことを言われたらしいのですが、障害への偏見が

今よりも強かったあの頃、若い母はそれを受け入れる知識も

教養も環境もありませんでした。

また、そんな保護者ごと受け入れてくれる場所も知りません

でした。無かったのかもしれません。

 

ありがちな、とてもありがちな発達障害を持つ子とそれを

知らずに暴力で矯正するような過程の話は置いておきます。

 

弟は数々のトラブルを起こしつつ、成長しました。

私は弟が嫌いでした。

そんな弟を贔屓しながら、理解しない親も嫌いでした。

今では弟は母へ絶縁状を送ったきりで、10年以上も

会っていません。

 

 

今私は、自分の子どもたちが高機能自閉症と言われ、発達障害

いうものを知り、保健所から児童相談所へ繋がり、療育を受ける

ことが出来、医療機関とも繋がりを持ちつつ、学校へ説明し、

理解してくれる先生方がいます。配慮を受けながら穏やかに育って

いる子達を見ながら、『もしも』と考えます。

 

もしも弟にも、同じ時代、同じ環境があればと。

 

弟は面白い子でした。

人一倍傷つきやすい子でした。

迷わずによく歩く子でした。生き物が大好きでした。

弟の指標はいつも、少し年上の私でした。

私はどれだけ喧嘩をしても、自分を裏切らないと

心底信じていました。

他の子達は自分をバカにするのだとよく悔し泣きを

していました。

絵は上手かったけども筆圧が強すぎる子でした。

 

たくさん思い出します。

もしあの子に、うちの子たちのようなこの場所があったならと

事あるごとに思い出すのです。

 

 

だから今、思い出すとやはり感謝の方が大きいのです。

 

1歳半検診で見落とさなかった保健婦さんも、出来たところの

相談センターを紹介してくれた人も、その相談センターで気長に

話を聞いてくれた人も、児童相談所ケースワーカーさんも、幼

稚園の先生も、児童心療科の先生も、学校の先生も、子どもの友

だちも、その保護者さんも。

 

嫌な事ももちろんあったし、恨みももちろんあるけど。

 

それでも、自閉症発達障害への知識や理解が、あの頃よりも、

うちの子達が小さかった頃。

うちの子たちが小さかった頃よりも、今。

 

確実に拡がってるなあと実感しているので。

そうして知って、拡げてくれている人たちに感謝しています。

 

『知ること』の大きさは、たぶん普通の人が思う以上です。

軽々しく「アスペじゃね?w」と嗤う人がいます。

それを怒る人がいます。

どちらも知っている人がいるからです。

私は「変な子」を見なかったフリをする人たちも

昔は多く居た事を覚えています。

だからといって障害を嗤う事を許してるわけじゃないん

ですが、無かった事にしてた頃を思うとすごいなあと思うんです。

 

 

この世の中には自閉症の人たちがいます。

あーあの人は自閉症なんだなあ、と知って、思う

事で私の中に、自閉症の人の座る椅子ができます。

別にその椅子をどうこうする事はないです。

特別な場所に置く事もないです。捨てる事もない

です。

ただ場所が増えるだけです。

椅子に誰かを座らせないといけないわけでもない

ので、普段は空いてたりもします。座ってた人は

時に動いて、パン屋さんの椅子に座ったり、コン

ビニの店員さんの椅子に座ったりもします。

たまに私も発達障害の椅子に座ったりします。

自閉症の椅子にまた違う誰かが座ったりします。

本当はどの椅子でもいいんです。椅子は椅子です。

ただ、知らなければ、場所は生まれず、場所がない

から所在無げに消えていく人たちがいました。

 

「自分の目の前から消えれば、それで平気。」

そう思って椅子を作らないままでいる事もできます。

けどそうして椅子を作らないままでいると、いつか

自分も自分の椅子取りゲームに参加する事になると

私は思っています。それはこのお話とは別のお話ですが。

 

 

私の感謝は、椅子を作る力を出してくれた人に。

そしてその椅子を自分の中に置いてくれた人に。

昔よりもたくさんの椅子が増えた事に。

 

そしてもっともっと知ってほしい。

できればあの椅子はどんな座り心地なのかな?と

少し想像してほしい。

私がこの日に思うのは、増えた椅子にかつての

弟のような子が気軽に腰掛けて、好き勝手に移動する事。

 

拙い記事は、ヘタでも椅子作りのつもりw

青いライトが消えても、どうか誰かが座れる椅子が残りますように。

そう願っています。